世界大会への第一歩
お久しぶりです!大川です。
最後の更新から早2年。帰ってきました、コンゴでコンゴ。
そんな今日は、イントロ的な意味合いも込め約4年前からご愛読下さっている皆さん、それから新しくコンゴでコンゴをお読みになる皆さんに、コンゴでコンゴとは何か、をおさらい/ご説明致します。
2012年、コンゴでコンゴ(SEASON1)にはこんな風に書いてあります。
「大学4年生のスパルタ系モラトリアム日記」
そうです、このコンゴでコンゴとは、とある大学4年生が大学を休学し、アフリカに一年間住むという企画のもと誕生した、気まぐれ・アフリカ開拓ブログでありました。
※コンゴでコンゴ SEASON1:
実際にコンゴに赴き、大学時代にプレーしていた「アルティメット」というフリスビーを使ったスポーツを、近所の子供達と遊びで開始。結果、瞬く間に大ヒット。当時コンゴにアルティメットというスポーツがなかったこと、そして、アルティメットは審判が存在せず、自分たちでジャッジをすること、「No violence」のスポーツであることが父母に受け、挙げ句の果てにはコンゴ民主共和国のスポーツ省にも話が届きます。
そして、渡航して半年。
なんとアルティメットはコンゴのオフィシャルスポーツに認定され、スポーツ省主導のもと全国の学校教育に取り入れること、ナショナルチームを創設することが決定。
私はあくまでも暫定的に、監督となりました。(大学時代は補欠)
ちなみに、アルティメットはこんなスポーツです。
その後も、あれよあれよと話が進み、
日本の皆さんから300枚のフリスビーを届けて頂いたり、
スポーツ省から「アルティメットをナショナルスポーツ(助成金が出る等)にするには国内6州に拠点を築き、全国大会を開催すること」という指令を頂き、各州に遠征に行ったり。(途中マラリアに感染)
コンゴで初の大会を開こうとポスター・CMまで作り、大会を実施。
スポーツ省の御厚意もあり、コンゴで一番大きなスタジアムを貸し切っての大会となりました。ただ、規模感からいって全国大会、という訳にはいかず「キンシャサカップ」として開催しました。
地道に普及を続け、競技人口も2,000人を超える程のスポーツに成長しました。
そして2014年、イタリアはミラノで行われた世界クラブチャンピオンシップに直接赴き、コンゴアルティメット協会の世界連盟入りを直談判。
結果、2015年よりコンゴ民主共和国は世界連盟の加盟国として認定され、次はいよいよ、、というところまできました。
一方、私個人としては、2014年に大学を卒業した後、そのままこの活動を「仕事」とするべく、コンゴに再び長期で渡る決意をします。しかし、無情にもその年、コンゴ、乃至はアフリカでエボラ出血熱が流行し、渡航不可に。
大学を卒業していた私は、日本で倉庫、プール、予備校とアルバイト生活をしながら生活費と活動費を捻出するべく、遠く日本から活動を続けておりました。
そんな中、私を拾ってくれる企業が現れ、2015年から新社会人として日本で仕事を開始。長期休暇の度、コンゴに渡航する生活の始まりです。
そして、2016年3月。
大ニュースが届きます。
コンゴ民主共和国アルティメット代表チームの世界大会出場決定です。(2016年6月18日-25日 ロンドンにて)
ついに、コンゴアルティメットを世界に披露するときがきました。
活動を初めて4年、もの凄い速度で進んでいるコンゴアルティメットですが、次は世界です。
..そんなこんなで、コンゴでコンゴSEASON3ではコンゴアルティメットチームが世界大会に出場するまで、そして実際にロンドンに行ってみてどうなるのか、その辺りをお伝えしていくつもりです!
そして改めて。
これまでクラウドファンディングや、日常から応援して下さった皆様に御礼申し上げます。この4年間、本当にたくさんの方から応援頂き、この活動を続けてこられました。全国大会は未だ、競技人口や治安の問題上渡航できない地域に赴けていないこと等で実施はできていませんが、せっかく頂いたチャンスである「世界大会」に向け、全力で進んで行きたいと思っております。
最後に告知です。
世界大会へ向け、今週中にひとつプロジェクトを立ち上げたいと思っております!(また、告知させて頂きます。)
そして、コンゴでコンゴ SEASON3、明日も更新致します!!!!!
(今までできた試しはないのですが、、笑)
あわせて、こちらもどうぞ!
コンゴでの半年間を記録したドキュメンタリー「Super View」です。上記の話が、より実感を持って纏められています。
それではまた明日!
明日はいかにして世界大会出場を決めたか、そして今年のGWにコンゴで起きたドタバタ劇をお伝えします。
大川晴